減圧症!?

ダイビングコンピュータに従って、無限圧潜水を行なっていても、 諸条件により、減圧症になってしまうことがあるようです。 私の減圧症!?体験を書きますので、安全なダイビングの参考にしてください。


9月22日(金)・・・前日

昼休みに大瀬崎のHマリンサービスに予約の電話を入れた。今回は、K島氏と二人。 2,3日前からH野氏とは、なぜか連絡つかなくて、K島氏と 「23日、H野氏は、祭日だし絶対休みだよ。夕方、また、連絡とるよ。」ということで、話がついた。

夕方、H野氏とやっと連絡がついたのだが、H野氏は、東海豪雨の関係で仕事とのこと。 「24日(日)に、しようよ!」というH野氏に、「今回は、23日にK島氏と二人で行きます。ごめんなさい。」 と言って電話を切ってしまった。

これが、今回の不調の始まり。H野氏と連絡がつかなかったのは、 私のPHSの番号通知が非通知設定になっていたかららしい。どうも私がボケてたようだ。 最近、仕事上でいろいろなトラブルもあり、精神的にも肉体的にもかなり参っているもんな。 よし、ストレス解消にダイビングに行こう! そんなこんなで、今回初めて「頼れるダイブマスターH野氏」のいないダイビングとなってしまった。 ちょっと、不安が残る。24時頃、就寝。


9月23日(土)

大瀬崎への移動。

朝、4時半頃起床。睡眠時間は、約4時間半。ちょっと少ない。 5時前に自宅を出発。途中で、K島氏を拾い、岡崎ICから、東名へ。サービスエリアで、休憩するが、 どうもお腹の調子がおかしい。一時間ほど、運転を代わってもらい、9時15分頃大瀬崎へ到着。 今週も駐車場が一杯。その後、手続きを済ませ、即、トイレへ。やはりお腹の調子が悪い。

1本目の潜水計画

一本目、湾内でミジンベニハゼ狙い。 潜水計画は、最大水深25m、時間40〜50分。 無限圧限界時間5分を切ったら、バディーに知らせて浮上開始。 ルートは、60°方向のゴロタのブイまで水面移動後、潜行開始し、120°方向に移動し、水神様で60°に方向転換、 産卵床を過ぎ、水深25mまで移動し、ミジンベニハゼを撮影し、同じルートで帰ってくる。 大体、こんな計画を立てていた。

体調不良・ルート間違い・見付からない。

実際の一本目は、いろいろなストレスから、 パニック寸前になる「安全とは言えないダイビング」であった。 まず、体調の悪さからか、水面移動でかなり息が上がってしまっていた。息を整えるのもそこそこに、潜行開始。 雨が降っているので、透明度も悪く5mぐらい。透視度も5mぐらい。 自分が先頭で、水神様に向かうが、水神様に当てられなかった。 (バディは、水神様を通りすぎる私をちょっと不信に思っていたらしい。) 水神様を通りすぎたあたりで、60°に方向転換。深みに向かうが、どうも流されていたらしい。 (バディーは、後で、90°方向に向かっていたと証言。) 水深25m付近に来て、底が砂泥なのを見て、目的の場所より、150°方向に30〜40m程、流されていることは、 わかったが、この辺で、ミジンベニハゼを探すことにする。 あたりは、雨天のためかなり暗く、透視度も深場で良くなったとはいえ、8m程度。 バディーが着底して、何かを撮影し始めるが、自分は、周辺を探して、泳ぎ回っていた。

撮影欲→余裕のない無限圧限界時間。

結局、何も見つからず、バディーにサインを送り、330°方向に移動を開始した。 30mほど移動すると、砂底に空き缶が何個か現れた。いつもの場所である。無限圧限界時間は、残り8分。 バディーに「この辺で5分、撮影しよう!」とサインを送り、ミジンベニハゼを再度探し始める。 見つけた!空き缶の中に・・・。着底して、ピントを合わせる。少し遠いか?じりじりと近寄る。 あっ!缶の中に入ってしまった。無限圧限界時間は、残り4分。1分だけ、待つことを決意。 できるだけ息を止めるようにして一分待ったが、出てこない。残り3分。浮上開始を決意。 3m横にいたバディーに浮上開始をサインし、浮上をはじめた。

浮上開始!バディーを見失う!?

残り2分。進路を240°にとり、ゆっくり浮上を開始しながら、泳ぎだす。 このとき、一瞬、ダイビングコンピュータに「3m1分減圧停止」の指示が出てしまった。 が、すぐに、「残り2分」の表示に・・・。急浮上は、していない。コンピュータにも「浮上速度の警告」は出ていない。 ゆっくり浮上しながら、進む。バディーは後方2mをついて来ている。 いつもは、海底に沿って泳ぎながら、浮上するが、今回は、海底からかなり、離れた中層を浮上しながら泳いでいく。 透明度は5m。海底は見えない。水深18m付近で、後方のバディーを確認したところ、いない。見失った。 息が上がるのがわかる。周りを見回してもいない。ダイビングの鉄則では、1分探していなかったら、 浮上して水面で落ち合うことになっている。自分に「どうする?」と問いかけながら、水面方向を確認すると、 後方の3mぐらい上方で、バディーがライトをまわして、合図を送ってくれた。 「いた!良かった。」と思いながら、再度、エキジットポイントに向かって泳ぎだす。

自信喪失!更なる不安増大!!!

・・・いつまで泳いでも、海底が見えてこない。現在、水深12mである。 ゴロタの付近までくれば、水深10mぐらいのはずである。かなり泳いだはずだが、まだ、水深はかなりあるようだ。 現在水深と透明度から判断すると、少なくとも17m以上あるようだ。結構冷静に判断しているように思えたが、 これがいけなかった。自分の進んでいる方向に自信がなくなってしまった。 「本当に岸に向かって泳いでいるのか、沖に向かっているのではないか?」と不安になってしまった。 しかし、「コンパスを信じるしかない。」と思い直し、そのまま、進む。 心の中で、「コンパスは、240°方向を示している。でも、そもそも240°方向が、正しいのか?」と考えてしまった。 そんな不安と戦いながら、そのまま、240°方向に向かう。そして、海底が見えない中、自分が、浮上しているのか、 潜行してしまっているのかわからなくなってきた。 ふと、水深を確認すると16m。さっきより、4mほど、深くなっている。 「怖い!生きて帰れるんだろうか?」。

生きて帰れた!!!!!

海底にうっすら、黄色のものが見えてきた。 他のダイバーのフィンだ!ピンク色のフィンも見えてきた。方向はあっていた。 もうすぐ、ゴロタだ。エアは、まだ、50bar残っている。大丈夫だ。バディーも後ろにいる。 でも、早く、海から上がりたい。しばらく行くと、なつかしのゴロタが見えてきた。 水深3m、ゴロタの中腹で一旦停止。コンピュータを確認するが、無限圧限界時間は残り99分(max)を表示している。 問題ない。早くあがりたい。エアも40barを切った。1分ほどで、再度浮上開始。 やっと、エキジット。最初にバディーに、言った言葉は「生きて帰ってこれた。」であった。エア残量は、35bar。

水面休息&2本目の潜水計画

岸に上がり、とにかく機材を脱装する。 1本目の自分の精神状態を、興奮気味に、バディーに話す。 まだ、興奮覚めやらぬ状態である。スポーツドリンクを飲み、タバコを一服。やっと落ち着いてきた。 バディーと「2本目は、水面休息1時間半以上。水深も浅めにしよう!最大15mね。」と話し合った。 その後、1時間ほどポテトチップを食べたりしながら、休息を取ったあと、 ダイビングサービスに2本目の情報を入手しに行った。 ガイドから、白いイザリウオの情報GET。左の転石付近、水深17mにいるとのこと。 「17mか!15mちょっと越えるけど、早めに浅場に移動すれば、いいか!」と早くも予定変更。 イザリウオの存在を聞き、早く会いたくて仕方がなくなり、早速準備に取り掛かる。 バディーに「焦らなくて、いいよ!ゆっくり、セッティングすればいいよ。」と言われながらも、 すでに焦っている自分がそこにいた。 2本目の潜水計画。最大水深17m。潜水時間50〜60分。ルートは、0°方向のゴロタのブイまで、水面移動し、潜行開始。 300°方向に海底に沿って進み、転石に当たれば、そこから転石に沿って、水深17mへ。 転石に当たらなければ、水深17mをキープしたまま、300〜360°方向に海底に沿って移動し転石へ。 そこで、イザリウオを撮影し、160°方向に戻ってくる。 ・・・というものであった。実は、左の転石には、バディーも私も、今まで行った記憶がほとんどなかったのである。 そして、エントリー。このとき水面休息時間は、1時間20分。ここでも、予定より、短い水面休息時間であった。 ダイビングコンピュータによると、無限圧限界時間は、18mで、30分弱。十分である。・・・と思っていた。

イザリウオ発見!?

0°方向のブイへ、水面移動。1本目のブイより、距離がある。またも、息が切れる。 今度も、息を整えるまもなく、潜行開始。今回は、バディーの後についていく。 予定通り、水深17mをキープしながら、転石に向かう。 途中、砂に埋もれたゴロタ石が、ぽつんぽつんとある場所があり、そこで、写真を撮っているダイバーを見かけた。 ここが転石地帯であったのだが、自分が考えていた転石のイメージとは、 かけ離れていた(イメージ:大きなゴロタがゴロゴロ。・・・バディーも同様)ため、通り過ぎてしまった。 20mほど、通り過ぎて、「アレがそうだったのでは?」と思い、バディーにサインを送り、引き返す。 やはりそうだ。さっき写真を撮っていたダイバーは、イザリウオを撮っていたのだ。さっきのダイバーはもういない。 バディーに、「この辺で、探そう!」とサインを送り、探し始める。 一つ一つ、転石を見ていると、左後方から、ガイドと思しきダイバーがやってきて、 私が探してた転石の1mほど左の転石に何かを見つけたようだ。お客さんと思しきダイバーを呼んでいる。 そして、4、5人のダイバーが、やってきて、私のすぐ横の転石を取り囲むようにしている。 ガイドが、クエストに「白いイザリウオ」と書いて、みんなに見せている。 やっぱり、イザリウオだ。ちょうど、転石の向こう側で、私からは、見えない・・・。 バディーに「イザリウオ発見!」を知らせ、順番待ちをすることにする。2〜3分経ち、 ガイドダイバーに促され、みんなが、移動を開始した。 ・・・ひどい!後ろにいた、私だけでなく、今の今まで、自分たちが見ていたイザリウオにも、 蹴りを加えるかように、思いっきり砂をかけていった。 ・・・砂の煙幕が、収まってくると、そこには、砂まみれになった白いイザリウオが、現れた。 憧れのイザリウオだ!でもちょっと怒っているようだ。

イザリウオ撮影!・・・安全停止は!?

さぁ!イザリウオの撮影だ!フィルムは、丸々一本使える。 カメラを縦にしたり、横にしたり、ストロボの位置を変えたり、絞りを変えてみたり、途中でバディーと交代して・・・、 気が付くと、無限圧限界時間が、残り、7分になっていた。「いかん!いかん!」と思いながらも、結局、 フィルム一本36枚全て撮影してしまっていた。その後、バディーに、帰還のサインを送り、帰途につく。 ゴロタ付近水深3mで、一度エアの確認。まだ、65barもある。いつもなら、ここで、 安全停止(減圧停止、出ていなくても)5分ぐらいは、するのだが・・・。 今回は、一本目にあんな状態になったのにもかかわらず、安全停止をせずに浮上。 もちろん無限圧潜水なので、問題はないはずではあるのだが・・・。 このあたりも、魔が差したというのだろうか?

名古屋への帰途!

13時15分頃、エキジット。すぐに撤収にはいり、14時前には、大瀬崎をあとにする。 途中、貝殻亭(大瀬崎から、15分)で、生イカ丼を食す。やっぱり美味しい。新鮮なイカと卵と海苔と山葵が、 絶妙なハーモニーをかもし出している。いやぁ〜!絶品である。16時過ぎには、沼津ICから東名にのった。 今回は、異常に眠い。それになんとなく、しんどい。やはり、あんなストレスのたまるダイビングをしたからだろうか? K島氏に運転を代わってもらう。途中、150kmほど運転してもらう。その間、爆睡状態。ちょっと気分も良くなる。 18時半頃、K島氏を自宅に送り、帰途につく。しかし、そのまま帰宅せず、友人宅に遊びに行ってしまった。 結局、帰宅したのは、23時頃。翌日が日曜日ということもあって、深夜2時までTVを観てしまった。 就寝時間は、2時半。


9月24日(日)

朝8時に起床。そんなに体調悪いわけではなく、朝食も普通にとった。 午前中は、TVを見たり、機材の片付け等をのんびりしながら過ごした。昼食を食べ終わった頃から、 なんとなく身体がだるい。頭もちょっと痛い。風邪だろうか? ・・・さらに、右胸のあばら骨の下、腹筋の右上あたりもなんとなく痛いような気がする。 「筋肉痛かな?何かしたっけ?」と考えながら、バファリンを飲んで、寝ることにする。 (エキジットから24時間経過)

夕方、起きると頭痛は、かなり良くなっていたが、相変わらず、身体はだるい。 腹筋の右上の部分の痛みは、さらに感じるようになっていた。前かがみになったりすると、はっきりと痛みを感じる。 筋肉痛のような痛みである。夕食を摂り、風呂からあがると、エアーサロンパスを腹筋右上部にかけて、20時に就寝。 深夜1時頃、目が覚めた。腹筋右上部が痛い。寝ていて、寝返りをうったり、起き上がろうとするときに、かなり痛い。 再度エアーサロンパスを塗って、就寝。このとき、まさか減圧症などとは、まったく思っていなかった。 筋肉痛だと思っていたのだが、ただ、筋肉痛になるようなことをした覚えはなかった。


9月25日(月)

朝6時半に起床。まだ、腹筋右上が痛い。起き上がるのに苦労する。 でも、今日は会社に行かなければいけない。 朝食時に、家族に、「そんなに痛いなら、ちゃんと病院行きなさい。内臓かも知れないでしょ。」と忠告される。 出勤し、仕事(デスクワーク)をしていても、かなり痛い。同僚が、 「筋肉痛になるようなことしていないなら、内臓が悪くて、痛みが身体の表面に出てくることもあるよ。」 と心配してくれる。昼食後、社内の診療所に行って診てもらう。 「内臓ではないようです。多分、筋肉痛でしょう!湿布あげますから、2、3日、様子を見てください。」と言われる。 ・・・やぶ医者め。でも仕方ないか!ダイビングを知らない普通の医者では、 まさか、減圧症とは思わないもんな。 (エキジットから48時間経過)

22時頃、ダイブマスターH野氏に電話して、この痛みは、「軽い減圧症かもしれない。」 という指摘を受ける。H野氏の知人で、ダイビング後に、わき腹が痛くなり、一週間ほどほかって置いたら、直ったとのこと。 「多分、軽い減圧症だが、大丈夫でしょう!」と言われた。 この後、ちょっと心配になり、月刊ダイバー誌99年4月号の潜水病の特集記事を読み返す。 「潜水時間18分・最大水深25m」の潜水で、減圧症になったという記事を読み、さらに心配になってきた。 軽い減圧症でも、組織が死んでしまったら、元には戻らないのでは?というような考えが浮かんできた。 そこに、アシスタントイントラであるYさんから、電話があり、事情を話すと、 「病院行って、再圧チャンバーに入ったほうがいいよ。減圧症じゃないにしても、 入っておいて損はないから。」とアドバイスをいただいた。 明日、朝、まだ痛かったら、病院行くことを決意して24時頃就寝。 (エキジットから60時間経過)


9月26日(火)

朝、6時半起床。腹筋右上部の痛みは、消えていない。やばい。 名古屋市港区の再圧チャンバーのあるR病院に行くことにする。家から車で10分ぐらいのところである。 朝の出勤時間帯のため、渋滞が予想されるので、7時半に家を出る。8時には、病院着。 外来受付で、腹筋右上部の痛みと減圧症の疑いがあることを話すと、外科に行くように指示される。 外科で受付を済まし、9時からの診察時間までの間が、ものすごく長く感じられた。 この間、会社に、体調不良のため午前中休む旨を連絡。まさか、ダイビングで減圧症になったとは言えない。 9時15分、やっと自分の診察の順番が回って来た。 (エキジットから70時間経過)

ドクターに、腹筋右上の痛みの状態を話す。まだ、ダイビングのことは言っていないのに、 突然、「どれくらい、潜った?」と聞かれ、一瞬、何のことかわからなかった。 どれくらいとは、深さのことなのか、時間のことなのか? とりあえず、「27m40分、1時間20分水面休息した後、24m26分。」と回答。 そのあと、「ダイビング初めて、どれくらい?」と聞かれ、これまた、年数?本数?と考えながら、 「2年と3ヶ月、180本。」と回答。ドクターは、ちょっと驚き、「職業ダイバーか?」と聞いてきた。 「いいえ、違います。」「結構潜ってるな!」というような会話がなされた。 やはり、普通の人よりたくさん、潜っているようである。 その後、痛む所を触診してもらい、さらに、カナヅチのようなものでたたかれ、やはり、 減圧症と診断された。ドクター曰く、「身体をひねるようなことをしたか?よく動かす筋肉が減圧症になるけど・・・。 腹筋がなることは良くあるけど、ここ(腹筋右上部)がなるのは、あんまり聞いたことないな。 前にフィンキックのせいか、お尻の筋肉がなった奴はいたけど。珍しいな。」とのこと。 再圧チャンバーに入るように手配される。 が、あいにく入院患者が使用していて空いていない。・・・「そんなに使う人がいるのだろうか?」と 思ったが、結局、11時から再圧チャンバー入ることになった。 さらに、レントゲン(胸部前、横、腹部前、横の4枚)写真と心電図をとられ、耳鼻科で耳管の掃除をしてもらった。 レントゲンの結果、内臓にエアバブルはないとのこと。一安心。でも、筋肉は、挫滅しているとのこと。 心電図と耳鼻科は、再圧チャンバーにはいるまえのルールらしく、さいきんは、特にうるさいらしい。 誰がうるさいかは言っていなかったが・・・。耳鼻科は、鼻の中から、管を通され、耳の内側に空気を送り込まれた。 気持ちのいいものではない。その後、1時間半の点滴。血液が凝固しないようにするものらしい。 (エキジットから72時間経過)

最圧チャンバー!

ついに、未体験の再圧チャンバー。最初の印象は、「狭そう。古い。汚い。」であった。 チャンバーの大きさは、直径1mぐらい、長さ2.5mぐらいの円筒形。ちょうど、カプセルホテルのような感じである。 ・・・服を脱ぎ、下着だけになる。下着は、化繊はダメで、綿のものだけである。これは、静電気を防ぐためである。 再圧チャンバーは、正式には、高圧酸素治療と呼ばれるように、酸素濃度が、90%以上とかなり高い。 この状態で、静電気による火花で、引火すれば、たちまち、火達磨になってしまうであろう。 胸に心電図の電極をつけ、下着にアース線を接続して、寝台に横になった。 そのままチャンバーに入り、中では横になったままである。 扉が閉められ、ガチャガチャとロックをしている金属音が聞こえる。そのうち、シューッという音が聞こえ始めた。 とりあえず、耳抜きをする。左耳が抜けにくい。しばらくすると、シューッという音がしなくなり、スピーカーから ドクターの声が聞こえてきた。「今から圧力上げていきます。」 今までは、酸素濃度を上げていただけで増圧は、していなかったようである。 増圧を始めてから、なんだか暑くなってきた。「圧力を上げると、気体の温度は上昇するんだったな。」 なんて考えているうちに、すぐに左耳が抜けなくなった。深海潜水艇と同じような小さな窓から、ドクターが覗いている。 スピーカーから、「大丈夫ですか?」と声がする。窓に向かって、手で大きくバツ印を示し、増圧を一時中止してもらった。 必死に耳抜きをしようとするが、左耳が抜けない。力んでいると、汗が噴出してきた。暑い! 「仰向けに寝ているから、抜けにくいのかも?」と、中で座ろうとすると、首をまげてやっと座れる状態の狭さである。 この状態でもやはり抜けない。少し、減圧してもらったが、やはりうまく抜けない。焦りからか、ますます、抜けない。 結局、一旦中止し、大気圧に戻し、扉を開けてもらった。涼しい!・・・水をもらい、気を落ち着かせた後、再度挑戦した。 今度は、何とかうまくいった。治療圧力は、2気圧。10分ほどで、目標圧力に達したようだ。 そして、2時間。・・・時計もなく、途中、ドクターの「大丈夫ですか?」という声と、換気の時のシューッという音と 自分の心電図のピッ・・・ピッ・・・ピッという音以外、聞こえない世界では、2時間がすごく長く感じられた。

再圧チャンバーから出ると、再度診察である。痛みは、変わらない。 ドクターから、「24時間以内なら、あんたぐらいの症状なら、一回の再圧治療で治るけど、48時間以上経ってるから、 3〜4回、入ってもらうことになるかもしれないよ。明日も来なさい。」と言われた。 結局、合計3日間、2時間の再圧治療(チャンバー入り)と、一時間半500_gの点滴をした。 3日目の再圧治療の後、痛みは消えていた。 治療費は、約15000円/回である。3日間で、45000円の出費である。 もちろん、健康保険を使っての金額である。健康保険が利かなかったら、20万円以上の出費になるところであった。 2週間(思ったより短い!!)のダイビング禁止を言い渡され、1週間、血液を凝固させない薬を飲みつづけ、 一応完治したようである。

終わり

[TOPページ] [安全メニュー]

(c)2000-2006 S.Konishi